前回のブログで、グローバル・フィランソロピーの担い手育成プログラムについて書きながら、気にかかっていたことが一つあります。それは、「では、そもそもフィランソロピーの専門家とはどのような人材であり、こうした人材を育てるためにはどのようなプログラムが必要とされているのか」という点です。
現在の日本には、フィランソロピーの専門家育成を目指したプログラムはありません。財団のプログラム・オフィサーのための書物は幾つか出版されています。また、助成財団センターが、助成事業に関する実務研修プログラムを行っています。日本フィランソロピー協会も、定例セミナーや会員向けの勉強会を通じて、フィランソロピーやCSRについての実務研修を行っています。企業メセナ協議会も、メセナ活動の実務研修セミナーを開催しています。しかし、これらは、実務担当者向けのセミナーであり、必ずしも、専門家を育成するためのものではありません。また、内容も、グラント・メイキングや助成事業に限定されており、より広い視野からフィランソロピーを理解し、その上で、フィランソロピーの様々な技法を開発していくという形に設計されている訳ではありません。
では、フィランソロピーの専門家育成のために、どのようなプログラムが必要なのでしょうか。今回は、米国の事例を中心に、これについて考えてみたいと思います。
1.インディアナ大学フィランソロピー研究センター
まずは、現時点で、唯一、学部から修士、博士課程までの一貫したカリキュラムを擁し、かつ、プロフェッショナル・スクールも持っているインディアナ大学の事例を見てみたいと思います。言うまでもなく、このセンターは、世界のフィランソロピーの中心でもあります。以下、簡単にカリキュラム構成を見てみましょう。
★学部レベル
(主専攻)
- フィランソロピー研究入門
- アメリカにおける寄付とボランティア活動
- フィランソロピーと社会科学
- フィランソロピーと人文科学
- フィランソロピーと市民参加
- フィランソロピーの歴史と現代の取り組み
- フィランソロピーの倫理と価値
- 非営利団体の資金調達
これに、インターンシップや実習が加わるというのが基本的な形です。
(副先攻)
上記に加え、以下のカリキュラムから幾つかの科目を選択します。
- 社会的活動の組織化
- フィランソロピーに関するケーススタディ(寄付を通じた学習、コミュニティ・サービスなど)
- フィランソロピー、神の声、そしてコミュニティ
- 文化人類学的観点から見た、富、交換、権力
- 非営利セクターの経済学
- フィランソロピーと文学
- 西洋社会におけるフィランソロピー
- 国際人道支援の歴史
- 広報キャンペーン
- 倫理学
- 宗教とフィランソロピー
- 比較宗教倫理学
- 非営利・ボランティア・セクター
- 非営利経営とリーダーシップ
- 公共政策における現代の諸課題
- コミュニティ
主専攻において、フィランソロピーとは何かを歴史的および現代社会のコンテクストの中で理解させた上で、これを人文・社会科学の中に位置づけ、さらに実践的な観点から倫理と資金調達について考える。その上で、副専攻において、学生の関心に応じ、より社会問題の理解に向かったり、より実践的な技能を身につけたり、あるいはより個別のディシプリンにおける研究を追求したりするという構成をとっていると言えるでしょう。
インディアナ大学のユニークな点の一つは、フィランソロピーを理解する上で、宗教的な側面が不可欠だという立場から、宗教との関わりについての科目を加えていることです。宗教は、個人のフィランソロピー活動に対する動機付けの一つとして、あるいはコミュニティレベルでのフィランソロピー活動の担い手として大きな役割を担っており、この理解なしにフィランソロピーを論ずることはできないという姿勢がカリキュラム構成に表れていると言えるでしょう。
★修士レベル
(主専攻)
- 非営利・ボランティア・セクター
- 市民社会とフィランソロピー
- アメリカのフィランソロピーの歴史
- フィランソロピーの倫理と価値
(副専攻)
- 人事・財務マネジメント(非営利組織の資金調達、非営利組織の人事、非営利組織の財務、社会企業、から一つ選択)
- 比較研究(フィランソロピーにおける異文化的側面、比較の中の市民社会、宗教とフィランソロピー、から一つ選択)
- 政策研究(非営利の経済と公共政策、非営利組織の法、から一つ選択)
これに、選択科目を加えるというのが、修士課程の基本的な構成となります。主専攻では、学部コースの延長上で、基本的な理解をより深める。その上で、副専攻で、実務的な観点から財務・人事・法・政策等を学ぶとともに、比較研究をより深化させる、という構成だと言うことが出来ると思います。
★まとめ
以上、インディアナ大学のコースを概観しました。現時点で、まとまったカリキュラムを持っている大学がここしかない以上、今後、フィランソロピーに関する専門家育成が本格化するとなれば、好むと好まざるにかかわらず、このコース設計がスタンダードになると思います。バランスがとれていますし、非営利・ボランティア・セクターと公共政策の中にフィランソロピーを位置づけようと言う理念が明確に提示されています。学部・修士課程ではこれで十分と言えるでしょう。
仮に、学生が、よりアカデミックな研究を続けたいと考えるのであれば、博士課程に入り、行動論的なアプローチからのフィランソロピー行動研究を行ったり、あるいはより社会経済論的な観点から、フィランソロピー活動の研究を行うことは可能です。また、より実務的な観点からは、例えば、ファンド・レイジングについてより深く学びたいという学生もいると思います。そのような学生には、同センターが、別途、プロフェッショナル向けに用意しているファンドレイジング・スクールの科目を受講するということも可能です。このように多様なプログラムが用意されている点が、同センターの魅力だと思います。
なお、余談ですが、同センターは、今秋、フィランソロピーに関するプロフェッショナル・スクールの設置が認められました。今後、立ち上げに向けた動きが本格化します。このプロフェッショナル・スクールができれば、MBAやMPAと同じような形で、フィランソロピーのプロフェッショナルの学位が社会的に認知されることになります。
2.ニューヨーク大学フィランソロピー&ファンドレイジング・センター
★修士レベル
もう一つ、ニューヨーク大学もファンドレイジングとグラントメイキングに関する修士課程を持っているので、それも見ておきましょう。同センターのカリキュラムは、より実務的な色彩が強い構成になっています。
(主専攻)
- ファンドレイジングの理論と実践
- グラントメイキングの理論と実践
- 米国フィランソロピーの歴史と哲学
- フィランソロピー団体における倫理、法および理事会ガバナンス
- 企業フィランソロピーと助成財団のフィランソロピー
- 公的機関、非営利団体および保健団体の財務
(副専攻:ファンドレイジング選択)
- テクノロジー戦略とファンドレイジングにおけるインフォームド・コンセント
- 年次寄付キャンペーン、キャピタル・キャンペーン、および大口寄付(メージャー・ギフト)
- プランド・ギビング
(副専攻:グラントメイキング選択)
- 戦略的グラントメイキング
- フィランソロピーと社会変革
- プログラム評価:基本的な考え方と方法
副専攻は、ファンドレイジングかグラントメイキングの選択コースの一つを選択し、その科目を全部終了する必要があります。
(選択科目)
- 寄付文化の構築:人種、民族、ジェンダーを基盤としたフィランソロピー理解
- 非営利団体と政府の戦略的関係構築
- グローバリゼーションとフィランソロピー
- フィランソロピーの心理学
- ファンドレイジングにおけるフィジビリティ調査
- 非営利団体におけるソーシャル・メディア:戦略と実践
- 資金、政治、および非営利団体
- 公的機関、非営利団体および保健機関における統計的手法
- 公共サービス機関の経営
- 非営利団体のマーケティング
- 非営利団体経営の基礎
- 非営利団体のガバナンス
学生は、上記の選択科目から7〜9単位を取得することが求められます。
★まとめ
いかがでしょうか。インディアナ大学のコースが、アカデミックな要素に配慮しているのに対し、ニューヨーク大学は、非常に実践的な側面を重視していることが分かっていただけると思います。フィランソロピーを資金調達(ファンドレイジング)と資金提供(グラントメイキング)の二つに整理し、それぞれの専門性を深めつつ、共通項としての非営利団体の経営やフィランソロピーについての理論を学ぶことで、バランスを取るという構成だと言えるでしょう。ニューヨーク大学のコースの構成は、修士課程ではありますが、今後、発展していくであろうプロフェッショナル・スクールの一つのスタンダードを提供していると思われます。
3.より専門性を深めるために
以上、米国における二つの典型的な例を見てきました。では、これにさらに付け加えるとすれば、どのようなものがあるのでしょうか。
★コロンビア大学のファンドレイジング経営修士コース
一つの例として、コロンビア大学が設置しているファンドレイジング経営修士コースがあります。これは、ファンドレイジングに特化した修士課程です。米国では、ファンドレイジングの技法が多様に発展しており、それぞれの技法に関する法的側面やマーケティング、あるいはファンドレイジングを行うにあたっての倫理的側面など、専門的な知識が必要とされます。それは、確かに、修士課程で学ぶだけの分量があるものだと言えるでしょう。
このコースでは、ファンドレイジングの一般理論から始まり、財団の助成金、大口寄付(メージャー・ギフト)、プランド・ギビング、年次寄付キャンペーン、マーケティング、非営利団体の財務等を学ぶことが期待されます。
なお、余談ですが、AFP(ファンドレイジング専門家協会)は、独自にファンドレイジング専門家認定を行っています。彼らの認定は、学位ではありませんが、米国社会では広く認められた認定です。これもまた一つの専門性だと言えるでしょう。
★アメリカン・カレッジの公認フィランソロピー・アドバイザー制度
アメリカン・カレッジは、公認フィランソロピー・アドバイザーの認定コースを持っています。これは、ファンドレイジングやグラントメイキングとは全く関係がなく、富裕層向けの資金運用サービスの一環として、寄付戦略などのコンサルティングを行うためのアドバイザーです。ただ、この資格を持っていると、ファイナンシャル・プランナーとして寄付金のコンサルティングを行うことが出来ます。また、実際、コミュニティ財団などの公的財団は、ドナー・アドバイズド・ファンドなどの資金調達において、こうしたフィランソロピー・アドバイザーのコンサルティングに多くを負っているので、フィランソロピー業界の中では、重要な専門性だと言えるでしょう。日本でも、ファイナンシャル・プランナーが、同様の取り組みを行えば、より寄付の流れが広がると思われます。
★IIX (Impact Investment Exchange) Asiaのインパクト・アカデミー
最後に、IIXの事例を紹介しておきましょう。IIXは、以前のブログ「シンガポールのフィランソロピー促進戦略と社会的証券取引所設立の動き」でご紹介した団体です。彼らは、新しいフィランソロピーを促進するための新たな人材育成を目指して、独自に、「インパクト・アカデミー」を立ち上げ、人材育成に乗り出しています。プログラムのターゲットは、社会企業家、投資家、企業など、新しいフィランソロピーを担うステイク・ホルダーたちです。このプログラムでは、「社会的企業入門」、「インパクト評価の重要性」、「社会的資本市場の成長」、「CSRの進化」、「活力あるエコ・システムの構築」、「インパクト投資の担い手創出」、「社会企業に対する新たな資金提供の方策」など、非常に魅力的なプログラムを用意しています。
このブログでご紹介している通り、フィランソロピーは、伝統的なグラントメイキングと寄付の世界を超えて、マーケットメカニズムを取り入れた新たな手法が発展しつつあります。フィランソロピーの専門家育成も、こうした状況の変化に応じて、より進化していく必要があります。IIXの試みは、そのような時代を先取りした試みとして、注目する必要があると思います。
★まとめにかえて
以上、米国を中心とした海外のフィランソロピーの専門家育成の状況について概観してきました。見てきたように、海外では、フィランソロピーの専門家育成が積極的に進められています。このブログで取り上げたのは、フィランソロピーに特化したプログラムですが、例えば、米国の非営利経営や公共経営の大学院という形で対象を広げれば、グラントメイキングやファンドレイジングの科目は、どこでも見ることが出来ます。近年は、MBAの中に、社会企業家育成のためのプログラムを組み込む大学も増えてきました。このように、非営利を担う人材育成プログラムは、急速に発展しつつあります。
このような専門家育成プログラムの発展は、何をもたらすのでしょうか。私自身、ニューヨークにいたときにニューヨーク大学のファンドレイジングコースに参加しましたし、ペンシルヴァニア大学のNPO/NGOリーダーシップ開発修士課程を修了しました。その経験から得た実感として、こうしたプログラムのメリットは、専門性の深化のみならず、非営利を支える専門家コミュニティの形成にあるということを痛切に感じます。非営利セクターに関する理解と知識を共有する人間の間では、例えば、何か共同作業を始めるときに、最小限の準備期間ですぐに作業に入ることが出来ます。しかも、MBAやMPAを取得した人間も、非営利の経営についての最低限の知識を身につけているので、企業や政府との恊働も容易になります。これが、非営利セクターの発展を大きく支えていることは、いくら強調しても強調しすぎることはありません。米国における非営利セクターのダイナミックの発展を支えているのは、このような裾野の広い人材育成プログラムです。日本の非営利セクターも同様です。日本の非営利セクターが、今後発展していくためには、NPO/NGO、社会企業およびフィランソロピーの専門家育成のためのカリキュラム開発が早急に求められています。