新たなツール5 社会的インパクト債

フィランソロピーのニューフロンティア」において、近年、最も注目を集めている手法の一つが、「社会的インパクト債(Scoial Impact Bond)」です。2015年には、日本でも幾つかのパイロットプロジェクトが立ち上がっています。今回は、この概要について紹介します。

1.「社会的インパクト債」とは?

社会的インパクト債とは、「ある社会的介入措置を実施するための資金を民間の社会的投資家から募り、一定の社会的インパクトが達成された場合、その達成度に応じて金銭的リターンを支払うメカニズム」です。金銭的リターンの支払いは、投資家との投資契約で細かく規定されるため、様々なパターンがありますが、一定の社会的インパクトが達成されない場合には、金銭的リターンが支払われない場合もあり得ます。

社会的インパクト債は、(1)政府や公的機関が基本的枠組みを作り、(2)中間支援組織を通じて民間の社会的投資家から資金を募り、(3)その資金を使ってソーシャル・セクター団体が社会的介入措置を実施し、(4)これにより達成された社会的インパクトが予め定められた一定の基準をクリアしていれば政府や公的機関がこの中間支援組織を通じて社会的投資家に金銭的リターンを支払う、という形態を取るのが一般的です。しかし、民間から資金を募り、成果に連動してリターンを支払うという形態を取る限りにおいて、政府・公的機関だけでなく、民間助成財団でも社会的インパクト債のメカニズムを導入することは可能です。

政府や公的機関が、社会的インパクト債の金銭的リターンを支払う根拠は、社会的介入措置を通じた財政削減効果にあります。たとえば、あるソーシャル・セクター団体が、社会的インパクト債の資金を使って、政府や公的機関が従来実施してきたプログラムより1億円安い経費で社会的インパクトを達成することが出来るようになったとします。そうすると、政府は、この1億円の一部を社会的投資家に金銭的リターンとして還元することになります。

この点を見ても分かるように、社会的インパクト債が最も有効な領域は、再犯防止、青少年の非行予防、疾病予防、ホームレスの自立促進などの予防的な社会的介入措置となります。実際、初めて導入された社会的インパクト債は、英国のピーターバラ刑務所の再犯防止事業が対象でした。このような予防的介入措置の分野は、事業対象が明確で社会的インパクトの定量的測定を容易に行うことが出来、また予防的社会的措置の導入による政府・公的機関の財政削減効果が算出しやすいためです。しかし、近年は、多様な領域で社会的インパクト債の手法が試みられています。

2.社会的インパクト債が導入された理由

社会的インパクト債が導入された背景として、1980年代以降、英国や米国などで発展したニュー・パブリック・マネージメントの考え方に基づく成果志向型(Pay for Result)グラントの導入があります。これは、政府や公的機関の補助金を、成果に応じて配分しようという考え方です。この流れから見ると、社会的インパクト債は、成果志向型グラントにパブリック・プライベート・パートナーシップ(PPP)の手法を取り入れたものだと言うことが出来ます。その根底には、政府の財政支出を削減し、小さな政府を目指そうという思想があります。

このような大きな流れの中で登場した社会的インパクト債ですが、この手法が求められたより具体的な理由としては、予防的措置事業に対する資金難という現実があります。政府や公的機関の予算が削減されていく中では、どうしても目前の社会的サービスを維持することが中心となります。この結果、中長期的な視点から効率的でインパクトのある事業モデルを開発・導入するプログラムに資金を投入することはどうしても後回しになります。また、このようなモデル事業の開発にはリスクが伴うため、政府は公的資金の投入に躊躇する傾向にあります。社会的インパクト債は、このような状況の中で、中長期的な視点から財政削減と社会的インパクトを同時に達成する事業モデルを開発・導入するために、民間投資家の資金を活用しようというプログラムだと言うことが出来ます。

3.社会的インパクト債の事業分野

社会的インパクト債は、英国で開始されて以来、米国、オーストラリア、カナダ、韓国、イスラエルなど世界各国で導入されており、その事業分野もどんどん拡大しています。このため、事業分野を限定することは困難なのですが、社会的インパクト債の主要な事業分野としては、以下のものがあります。また、国際開発協力の分野においても、開発インパクト債(Development Impact Bond)の導入が検討されています。

  • 青少年の非行矯正
  • 再犯防止
  • 養子縁組
  • ホームレス対策
  • 中高におけるドロップアウト予防
  • 早期教育
  • 児童福祉
  • 低所得者向け住宅供給
  • 失業対策
  • 在宅介護への移行支援
  • 省エネルギー化 等

4.社会的インパクト債の課題と展望

このように急速に発展しつつある社会的インパクト債ですが、普及に伴って様々な問題点が明らかになってきました。導入されてまだ十分に成果を出すまでに至っていないため、結論を出すのは時期尚早ですが、現在、社会的インパクト債を巡っては以下のような課題が指摘されています。

  • 社会的インパクトの成果測定の問題
    社会的インパクト債は、社会的介入措置がもたらす社会的インパクトに連動して社会的投資家に金銭的リターンを支払います。公的資金を民間投資家に支払う以上、この成果測定にあたっては、透明性、客観性、妥当性が求められます。一般に社会的インパクトの測定には、厳格なランダム化比較試験(RCT:Randamized Control Test)が必要ですが、多くの社会的インパクト債はRCTを導入していません。この結果、社会的インパクトの測定が恣意的で不当に社会的投資家が利益を得ているのではないかという議論が生まれる場合があります。
  • 「いいとこ取り(Cream Skimming)」の問題
    成果志向型事業のすべてに当てはまる問題として、「いいとこ取り」の問題があります。「いいとこ取り」とは、事業を実際に担うソーシャル・セクター団体が、よい成果を上げようとして、問題のあるクライアントを排除し、成功する可能性のあるクライアントだけを対象に事業を実施することを指します。これは、社会的インパクト債にも当てはまります。このような「いいとこ取り」を回避するためには、社会的介入措置のターゲット層を厳格に設定する必要がありますが、政府・公的機関には十分な情報がないため、ソーシャル・セクター団体の恣意的な対象選定をチェックすることはなかなか難しいというのが現状です。
  • コスト算定の問題
    社会的インパクト債の金銭的リターンの原資となるのは、政府・公的機関の財政削減による節約資金です。しかし、節約資金の算定はそれほど単純ではありません。まず、社会的インパクト債の実施に関する運営コストの問題があります。社会的インパクト債は、事前調査、投資契約の締結、モニタリングと評価など、通常の行政運営よりも複雑で専門的です。このためには、専門のコンサルタントや弁護士を雇用する必要があります。このような運営コストは、通常、別会計でなされるため、社会的インパクト債の枠組みには必ずしも反映されませんが、財政削減を論じる際には、直接的な事業コストだけでなく、こうした運営コストも含めて議論する必要があります。また、コストの削減についても、政府・公的機関のどの部分のコストが削減されたのか、その結果、他の部門でのコストが増加する結果にならないのか等のチェックも必要です。たとえば、自治体の財政節約になっても、この結果、中央政府の財政負担が増えてしまえば、全体としての財政節約は相殺されてしまいます。

これ以外にも、社会的インパクト債に関しては、様々な課題が指摘されています。しかし、民間資金を活用して予防的事業モデルを導入・開発し、これによって社会・福祉サービスの水準を維持しつつ、これに必要な社会的コストを削減していこうという社会的インパクト債の基本的な考え方は、財政難の中でポスト福祉国家モデルを模索しているすべての先進諸国にとって、魅力的に映ります。今後も、様々な課題を巡って議論が継続しつつ、徐々にコンセンサスが積み重ねられて、社会的インパクト債の適用範囲は広がっていくだろうと思われます。

「フィランソロピーのニューフロンティア:
社会的インパクト投資の新たな手法と課題」
(レスター M.サラモン著、小林立明訳、ミネルヴァ書房)

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